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川中島の戦いと村上義清を訪ねて [日常]

8月1日。この日は休みを取って、K君が行きたいといっていた葛尾城跡に行くことにした。

 妻も半休を取ったため、その前に川中島の博物館で行われている企画展、「体感!川中島の戦い2007」を見に行くことに。今年は大河ドラマとのタイアップで長野のあちこちで「風林火山」にちなんだ企画が行われているが、決戦の舞台となった川中島古戦場も例外ではなく、例年に無く活気に満ちている気がする。そういえば外にある八幡社の近くの信玄と謙信の像も綺麗になったような・・。

 入場料を払って中へ。中には甲冑や着物を着られるコーナーや、登場人物。史実の紹介、川中島の戦いを再現したミニドラマシアターでやっていたり、役者さんの紹介などもあって大河ドラマを見ている人にはかなり面白いものだと思う。今年はうちは大河は見ていないが、それでも勘助の啄木鳥戦法とかどんなものかがわかって結構面白かった。

 一通り見た後、坂城に移動。昼食に蕎麦を食べる。坂城はねずみだいこんとよばれる大根が特産品でそれを使用したおしぼりそばをK君は注文したが、とても辛かったらしい・・。(僕も少しもらったが確かに辛かった・・)その後、妻を会社前で降ろした後、まずはふるさと歴史館へ。

 ここで少し説明すると、この坂城出身の武将、村上義清は武田信玄を二度も退けたことで有名な人だ。一度目は1541年の上田原の戦い、2度目は1550年の退却する武田郡に追い討ちをかけたという砥石崩れと呼ばれる砥石城の戦いだ。しかし結局は真田幸隆の謀略により居城である葛尾城も明け渡すことになり、義清は長尾影虎(上杉謙信)に助けを求め、のちに川中島の戦いになっていく・・というこの時代を語るのに欠かすことのできない武将といえそうだ。

 ふるさと歴史館にはそんな村上義清公関係の資料を中心にいろいろと展示してあった。最初看板を目印にしていたら途中でなくなってしまい、駅で確認したところようやく見つけることができた。最後まで看板は出しておいて欲しいなあ・・。歴史館自体はさほど大きくないが、思っていたより綺麗で入館料100円にしては充分楽しめた気がする。大河で村上義清役をやっている永島敏行さんも来ていた様でサインや写真が飾られていた。

 そして、いよいよ村上義清の居城であった葛尾城跡へ。ネットで事前に調べたところかなりきついコースらしいという情報は得ていたがそうはいっても城跡だしそんなでも無いだろうと思っていた。まず、坂城神社に車を停め、入り口を探す・・どこ? 神社の右側を行くと案内板を見つけることができた。ここまでの案内板も欲しいなあ・・。いよいよ登っていくと、これが最初からきつい・・!最初はもっとなだらかだろうと勝手に思っていたが最初からかなりきついハイキングとなった。上に行くには途中で右に行くと近道なのだがかなり険しい道ということだったので左回りで行った。・・が左でも充分にきつく、途中からはたびたび手も使わないと登れなかった。そんな中、K君が歩きながら携帯でかけてくれたR35というCDに入っている懐かしいポップスの名曲集が励みになり、なんとか城跡に到着することができた。

 

 ここからの眺めは最高だった。村上義清がここに城を作ったのもわかる気がする。

 (草や木が邪魔ですが・・)

(ここは尾根なのだろうか?とてもすべりやすくて歩きづらかったです)

 しばらく休み、帰りもすべりそうになりながらなんとか戻ってきた。だいぶ汗をかいたので、ちかくのびんぐし湯さん館で汗を流す。ここは見晴らしがよく、長野の温泉の中でも好きな場所だ。

 一休みして長野駅までK君を送り、K君と別れた。疲れたけど、歴史の跡を訪ねるというのもなかなか楽しいものだと再認識できた気がする。


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